OCEAN DOCKYARD  ~1/200 model ship builder~
1/200スケールでラジコン船を製作しています。
世界の海は俺のもの~男ミコヤン一代記(前編)~
さて,現在製作記にも登場しているソ連砕氷船「ミコヤン」ですが,私,勝手にこの船は世界の北のはずれでのっそりと氷を割りつつ,人知れず地味~な一生を終えたに違いない,と勝手に決めつけていました。しかし,よくよく調べてみるとこの船,宗谷もびっくりなすごい戦歴を持っていました。
まるで,いつも庭先で盆栽の世話ばかりしている近所のメタボなおっさんが,実は元オリンピック選手だった!みたいな感じです。
そんなわけで,この感動を皆さんにお届けすべく筆を走らせた次第であります。さぁ,いよいよ始まり始まり~♪

世界の海は俺のもの~男ミコヤン一代記~

其の壱:風雲誕生編

1941年8月26日。砕氷船ミコヤンは,波頭砕ける黒海のニコラエフ工廠にて産声を上げました。
しかし,ちょうどその頃ドイツ軍の攻撃は激しさを増し,あわれミコヤンは試験航行すら行うことができないまま,セヴァストポリへと送られたのでありました。
そこでミコヤンは武装を施され,武装巡洋艦として黒海艦隊へと編入されちゃったのであります。
乗組員は正規の海軍兵に加え,足りない分はソ連軍お得意の工廠の作業員をその場で徴用という荒業にて確保。9月以降,ミコヤンは黒海艦隊の他の艦と共に,貧弱な130mm砲を頼みに黒海の守備についたのであります。
ミコヤンは9月22日にグリゴリエフカ近郊の上陸作戦に参加し,海軍の第3連隊を援護しました。
また,ミコヤンの勇敢な砲兵達は,ニコラエフ工廠で捕獲・連行された工員達によって,対空射撃が可能なように魔改造を施された130mm砲(改)を駆使して,無敵のルフトバッフェに対空戦闘すら挑んだのであります。
しかし,オデッサにて陸軍部隊を援護している時,怒り狂ったドイツ陸軍の重砲攻撃と,ルフトバッフェの爆撃による至近弾で機関を損傷し後退します。その後,セヴァストポリにて仮修理を行い,避難民と負傷兵を満載して,いつの日かの復讐を誓いつつ,ノヴォロシスクへと退避したのでありました。

其の弐:立志冒険編

1941年11月,ミコヤンは武装巡洋艦としての装備を下ろし,大西洋を渡り,遥か極東のチュクトカへ向けて旅立つ準備をしました。今までの乗組員は他の艦に転属していき,ミコヤンは本来の姿である砕氷船として,長い長い航海へと旅立ちます。
タシュケントをはじめとする黒海艦隊の駆逐艦3隻は,ボスポラス海峡を抜けるまで護衛を続け,遥かなる旅路に就くミコヤンを見送ったのでありました。
しかし,イスタンブールに到着すると,在トルコ・ソ連海軍武官とイギリス海軍士官がミコヤンに乗り込んできて,ドイツ・イタリア海軍がうようよしているけど,気合と根性でキプロスのファマグスタへ行くように命じられたのであります。
ファマグスタでは連合軍コマンドのために補給を行い,その後極東へ向けて旅立つことになりました。
12月1日,覚悟を決めたミコヤンはファシスト達の海へと出撃します。セルゲイ船長は,夜間のみ岸沿いに走行し,昼間は岩陰に隠れることにして慎重に航海を進めました。
悪天候に助けられ,無事に航海を続けること2日間。しかし,3日目にはついにロードス島のイタリア軍偵察機に発見されてしまいます。危うしミコヤン!!
その後,ミコヤンは23時間にもわたりイタリア魚雷艇により追い回されるも,巧みな操船により全ての魚雷攻撃を回避。次の日,悪天候と暗闇にまぎれて追っ手をまく事に成功し,無事にファマグスタに到着することができました。
しかし,イタリアとドイツのラジオ放送は「地中海にてソ連の大型砕氷船を撃沈」と大々的に放送していたのでありました。
事実,ミコヤンの上部構造物と煙突には,弾片により数百の穴が開いていましたが,頑丈な砕氷型船体には傷一つついてはいなかったのです。すごいぜ,ミコヤン!!
ファマグスタを出発したミコヤンは,途中修理のためハイファに立ち寄り,その後はスエズ運河から,インド洋,大西洋と航海を続け,パナマ運河を通過してサンフランシスコに到着します。
そして,1942年8月9日。9ヶ月間にも渡る大航海の末,最終目的地チュクトカに到着したのでありました。


さぁ,書くのも疲れたから今夜はここらへんで・・・・
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