製作するのは、主に甲板上の構造物だけなのでラクラクですわ。

甲板は0.5㎜プラバンに家具補修用の板目シートを貼り付けたものです。
私が幼少期に訪れていた「こじま」は、既に木甲甲板ではなく、コンクリみたいなものが敷き詰められていたのですが、海洋公民館として開館当時の写真を見ると、甲板の大部分が木甲甲板のままでした。
で、昨年の「こじま観艦式イベント」の際に、千葉市様に見せてもらった「こじま」の図面では、ボートデッキも含めて全面が木甲甲板とされていましたが、実際はボートデッキ部分のみがコンクリ敷きになっていたようです。
ちなみに、その図面は80年代の改修工事に際しての業者による事前調査用のものらしく、木甲甲板の上からコンクリをぶっかけてあるので、内部の木が腐っている部分の補修の必要性等が記載されておりました。
しかし、たまらないのは海防艦時代の情報と、海上保安庁時代、トドメに公民館時代の情報が入り乱れて記載されており、極めて信憑性が低くシュールな図面になっておりました。
だって、煙突が海防艦時代の多角形型のままなんですよ・・・。
かなり初期に円筒型に改修されているはずなんですけどねぇ。
船首楼から続く船室は、米軍の連絡船として使用する為に増設されたものだそうです。
公民館時代はここに船の模型や戦艦「三笠」の甲板の端切れ等の海事資料、また謎の水槽で色んな水辺の生き物が展示されていたように思います。
ちなみに、連絡船への改装工事を担当した技師は、全ての船室を甲板上に設置するので、トップヘビーになりはしないかと心配していたそうです。
この辺の部分について、おいらの怪しげな記憶によると、通路側に手洗い用と思われる銀色の流し台が設置されていたように思うのですが、それが写っている写真がない為に真偽のほどは闇の中であります。
また、この船室中ほどに便所があり、「とっても古臭い便所だなぁ」と子供心に感じた記憶があります。
さて、ブリッジもガンガン作ります!


海保時代や公民館時代の艦橋内部写真はネット上で見ることが出来ますが、問題なのは後方の小部屋のような場所でして、図面上では仕切りがあって完全に別部屋になっており、「海図室」と記入されていますが、おいらの記憶だと天井まで到達する壁ではなく、上半分くらいが空いていて海図室は覗けるようになっていたような気がしております。
誰か、その辺の記憶が確かな方がいらっしゃったら御教授くだされ。
まぁ、どうせ組んじゃえば中は見えないので、ためらいなく天井を取り付けちゃいました(笑)

現在、こんなん感じっす!

さぁ、どんどん進めちゃお!
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