OCEAN DOCKYARD  ~1/200 model ship builder~
1/200スケールでラジコン船を製作しています。
微笑みの国が見た悪夢~コーチャン島沖海戦その3~
さてさて、悲劇のコーチャン島沖海戦をフューチャーし終えた当ブログだが、登場人物(艦艇)達のその後をエピローグ風に紹介してみようと思います。

まずは、当海戦における殊勲艦であったフランス艦隊旗艦の「ラモット・ピケ」ですが、その後の運命は悲惨でした。
海戦から半年後の1941年7月、日本は東南アジア侵攻の前線基地にする為に南部仏印進駐を求め、ヴィシー政権はこれを承認。これに伴いラモット・ピケは武装解除されて、空しく係留の憂き目にあいます。

そして、奇しくもコーチャン島沖海戦からほぼ4年後の1945年1月12日。海戦の英雄であった「ラモット・ピケ」は、ハルゼー大将率いる米第38任務部隊の空襲により、その辺にいた日本軍もろともサイゴン沖で撃沈されてしまいました(泣)

そ、そんなアホな・・・。
よりによって何で米軍に沈められなきゃいかんのよ。

まぁ、この時期における猛将ブル(ハルゼーさんのことね!)の攻撃は、すっかり弱体化して幼稚園児並の戦力になっていた日本軍に対して、筋骨隆々のボディービルダーが棍棒を振り回して突撃していくようなもんだから、吹っ飛ばされた幼稚園児がぶつかって事故死した通りすがりの老人みたいなものなのかもしれません。

しかし、「ラモット・ピケ」の最後は、フランスにとってもやりきれない感この上ないものであったでしょうなぁ。

やっぱ、戦争は絶対にするもんじゃありません。

一方、タイ側の主人公たる海防艦「トンブリ」は、何とかフランス艦隊の追撃を逃れて戦場からの離脱に成功したものの、火災鎮火に失敗して右舷の浸水が止まらず、海戦当日の1640に転覆沈没(一部資料によれば擱座)。
ほどなくして、日本サルベージの手により引き揚げに成功しますが、船体の損傷が著しく係留された状態で練習艦として使用されたそうです。その後、老朽化の為に解体となりますが、砲塔と艦橋を海軍兵学校の校庭に陸揚げし、現在でも日本製の20センチ砲塔を見ることができるそうです。

そして謎多き珍艦「スリ・アユタヤ」についてですが、「日本タイ協会」様のHPによれば、海戦の損傷を生まれ故郷の日本で修理し、めでたく現役復帰を果たすも、1951年6月にタイ海軍が起こしたクーデターにおいて、拘束したピブン首相を幽閉する施設として使われてしまいます。

怒り狂ったタイ陸軍は、信じられないことに幽閉されたピブン首相もろとも「スリ・アユタヤ」を空爆!

おいおい、ピブン首相を亡きものにしようとしてるの実は陸軍じゃね!?

という疑惑満載の冗談みたいな救出?作戦を強行するも、不死身のピブン首相は沈みゆく「スリ・アユタヤ」から脱出して、雑菌満載のチャオプラヤ川を泳いで生還!

哀れ「スリ・アユタヤ」は、悪運の強いピブン首相の身代わりとなってこの世を去ったのです・・・。

ほんとに「何だかなぁ」としか言いようのない船歴のお船ですなぁ。

運命のコーチャン島沖海戦からほどなくして、東南アジア水域では、日本と米英豪蘭の大艦隊が激突する海戦が何度も発生。
それに比べれば、池のアヒルボート同士の小競り合いみたいなコーチャン島沖海戦は、ズイズイと歴史の片隅へと追いやられてしまいます。

しかし、第二次大戦中は鳴かず飛ばずと言われることの多いフランス海軍が、列強海軍としての実力を如何なく発揮するとともに、巨砲と魚雷によるワンパン狙いに特化した珍妙なタイ海軍が火花を散らしたこの海戦、もっと世間様に知られてもいいよな~と思う次第であります。



微笑みの国が見た悪夢~コーチャン島沖海戦・完~
スポンサーサイト
コメント
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
トラックバック URL
http://azuazupapa.blog119.fc2.com/tb.php/424-f93e5e91
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバック